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土砂加持・柴燈大護摩

 

 

 住職のひとりごと

最近の出来事、季節の話、御大師様のお言葉などを、日記風に載せています。

  御大師様のお言葉 平成20年6月

  「真言は苦を抜き楽を与う」

 ほんとうのことばは、苦しみを生むことなく、いつも気が楽である

  御大師様のお言葉 平成20年7月

  「妄語(もうご)は長夜(じょうや)に苦を受く」

 うそをつけば、あの世へ行って、何千年も苦しむことになる

御大師様のお言葉 平成20年8月

  「心病(しんびょう)の本(もと)はただひとつ、無明(むみょう)これなり」

 心の病気の根元はただひとつ、道理に暗いことである

 御大師様のお言葉 平成20年9月

    「人の昇沈(しょうちん)は定(さだ)んで道にあり」

 人が出世するかわ没落するかわ、道理に基づいた生き方をするかどうかで決まる。

  御大師様のお言葉 平成20年10月

 【道(い)うことなかれ人の短(たん)】

人の短所をいってはいけない

『菅笠にかかれている字の意味』 平成20年11月

 1,日差しや風雨をしのぐ為に用います。

 2,笠には「同行二人」の下記の四句の偈文をかきます。

 迷故三界城  迷うが故に三界は城なり  我執によって苦しみの世界にいる  

 悟故十方空  悟るが故に十方は空なり  悟りを開けばこの世は全て楽土だ

 本来無東西  本来東西無く         精進して我執を無くせば安心を得て

 何処有南北  何処かにか南北あらん   真の幸福な人生となる。

 御大師様のお言葉 平成20年12月

【説くこと勿れ己の長】

自分の長所を自慢するな

新年あけましておめでとうございます

本年は『性霊集』より言葉を書かせて頂きます。

虚心にして物に逐う (こしんにしてものにしたがう) 平成21年1月

 物事にとらわれずに、自らの心をむなしくして相手に応じた自由自在無碍の境地。

大仙之窟房 (だいせんのくつぼう) 平成21年2月

仏の境界のこと。永遠の生命を体得したののをいう。

大仙・・・・・すぐれて尊い、仏陀の称でもある。

玄珠を瑩く (げんしゅをみがく) 平成21年3月

 玄・・・くろい。非常にすぐれている。

 玄珠・・くろいたま。菩提心にたとえる

 人間が持っている可能性を瑩き求めていくこと。

延年転壽 (えんねんてんじゅ) 平成21年4月

 自己の力や仏の加護によって、この世における寿命を延ばすこと

寶珠閣 (ほうじゅのかく) 平成21年5月

 宝珠には災難を除く等の不可思議な力があるとされ、また如意宝珠(欲しいものを何でも出してくれるという玉)も有るが、宝石で飾られた宮殿とは覚りを求める心を言ったものである。

一心に安住して分別すること無かれ内風外風吾が耳を誑かす 6月

 唯一絶対のゆるぎない心を保持しあれこれ思案しすぎてはいけない内なる声や周囲の意見は、人を惑わすものだ

住職のひとりごと 7月

 当山では阿弥陀如来の指をネズミがかじり無くなっているので皆様方にお願いをして修復を考えております、どうか皆様方のお力添えをよろしくお願いします。

住職のひとりごと 6月

 厄除け仁王像にちなんで厄除けのお守りを制作しました。厄除けにはよくききます、お守りの分野で紹介をしているのでよろしければお求め下さい

住職のひとりごと 5月

 4月の第二日曜に当山の境内において盛大に柴燈護摩が執り行われ大勢の善男善女がお参りに来られました。毎年4月の第二日曜に行われているので皆さんお誘い合わせのうえお参り下さい。

住職のひとりごと 4月

 3月の末に当山では永代土砂加持の法要が執り行われました。また4月の第二日曜(12日)には柴燈大護摩供が開催されます。火わたりには大勢の人達が参加されます、またぜんざいの接待もしておりますので皆さんお誘い合わせのうえどうぞお参り下さい。

『お彼岸』 3月

彼岸とは、梵語のハラミタの訳で、到彼岸の略であります。「涅槃経」に、「生死をもって此岸となし、涅槃をもって彼岸となす」とあります。つまり大衆がいろいろな煩悩に心をとらわれて生死の海にさまようのを此岸といい、その海をこえて悟りの岸に達するのを到彼岸といいます。これをお互いの社会生活からいえば、「彼岸とは人生の理想の境地」のことであります。私達が煩悩うずまく此岸(迷い)から、涅槃(さとり)の彼岸に到達するのは容易なことではありません。そこでお釈迦さまは、彼岸におもむくための指針を教えてくださいました。それは『六波羅密(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)』という六つの徳目を、出来ることから実行しなさい、ということであります。彼岸には仏事の法要を営み、ご先祖のお墓まいりや、御先祖を敬いましょう。

『言語道断』 2月

仏経において、究極の真理や悟りの境地は、人間のことばでもっては表現できないことを言ったものだ。゛言”も語”も「ことば」であり゛道”は唐代以後の俗語では「言う」「述べる」の意味である。ことばで表現できない−−−というのが、「言語道断」である。

 この仏教語が日常語になると「あきれはてて非難のことばも出ないほどだ」といった意味になる。

『合掌』 2009年1月

 拝む心をもって、仏に向かうさいに誰しもが自然にする態度は、両手をあわせること。すなわち合掌するということです。このように合掌は誰でもが拝むさいに自然に、常にどこにおいてでもなすすがたですが、しかし、この合掌の本当の意義を知っている人はほとんどいないと思います。古い歌に

  右仏左衆生と拝む手のうちぞ ゆかしき南無のひと声

というのがあるように、仏教では合掌する場合、右の手はいつも仏や、仏の悟りの世界をしめし、左の手は凡夫や、衆生の迷いの世界を表しています、したがって左右の両手を合わすことは、悟ったみ仏と、まだ悟っていない我々凡夫とが一致することを示しています。だから、拝む者と拝まれるものとが不二合体し、悟らないものが、悟ったものの悟りの境地に導き込まれんことを希望し、念願することをしめしています。

『感謝の言葉』 12月

私達が今日まで生きてきましたが、決して一人で生きてきたと思っている人はいないはずです。

長い人生の中で、少なからず、感謝という念を抱いた事があると思います、もしそうであるならば時としてい何らかの「感謝を表す言葉でその心を表現した」はずです。わたしは数ある感謝の心を表す言葉のなかでとくに三つの言葉をあげたいとおもいます。

◎ ありがたい ◎ おかげさまで(おかげで) ◎ もったいない

『年忌法要の意義』 11月

禽獣の中にさえ恩を知るものがあります。まして人間は、仏教の教える四恩(仏・法・僧の三宝の恩、国主の恩、父母の恩、衆生の恩)を知り、それに報ずる心がなければ、禽獣以下です。ご先祖をはじめ、亡くなった父母、近親者、恩人の方々の霊に報恩感謝の気持をもって、その成仏を祈るのが追善法要であります。

 『懺悔の文』 10月

真言宗の在家勤行の最初に懺悔の文がありますがこれは、我これまでに意識的に或は無意識的に造った一切の悪業というものはすべて皆これ自己の貪・瞋・癡の迷いによって造り出されたものです。我れ今ここに、わが一切の悪業を懺悔して、清浄にして汚れなき清らかな心身とならんことを希う句です。

 『お彼岸について』 9月

 お彼岸は春と秋の二回ありますが。春分と秋分の日を中心として前後3日の7日間をお彼岸としています、この期間中、各寺院では彼岸会の法要を営み、各家庭では彼岸団子やおはぎを作って仏壇にお供えをします、又お墓にお参りをしてご先祖の供養をします。彼岸という言葉は、インドの古い言葉である梵語のパ−ラミタ−(漢字では般若波羅密多の波羅密多がそれにあたり)彼岸に至るという意味です。つまり、この世(此岸)から、涅槃の世界(彼岸)に至るという意味です。太陽が真東から出て、真西に沈む日を、春分の日・秋分の日といい、その日が彼岸の中日にあたります。お彼岸には今日ある自分を育ててくれたご先祖様に感謝をするとともに、自らも彼岸に到達できるように願い、ご先祖を敬い合掌の心をわすれず、信仰に精進されることをお勧めいたします。

 『人生遍路也』 8月

  人生(じんせい)は遍路(へんろ)なり

 人の一生は、喜びあり、哀しみあり、楽しみあり、四国遍路の道も、また然り。これらすべてを乗り越えたところに悟りの世界があります。悟りの世界とは無心の境地でしょうか。お互い「我が人生に後悔無し」と思いたいものです。                      

 『こころ』と『からだ』の関係 7月

    憎しみの心が病気の原因になる

 人を憎みつずけていると、たいていの人は体の調子が悪くなります。

原因不明の病気になったりする人は、多くの場合、憎しみの感情を強く持っている人がほとんどです。「許せない」という憎しみの感情を持っていると、心の作用によって病巣が体の中に生まれてくるものです。思わぬところで病になることがあります。自分自身のためにも、人を許せる心が必要なのです、また同様に自分自身のことも許すことが出来なければならないと思います。

たとえば、自分に対して害を与えた人、自分に恥をかかせた人等々いろいろ思いつくことがあると思います、しかしそういう人達を許すことが出来る心を持つ必要があると思います、一年あるいは三年、五年も苦しめば充分ではありませんか、もう許せる心を持ちましょう。自分を苦しめた人達も、今はもう変わっていることでしょう、反省しているかもしれません。その時にはひどいことをされて苦しい思いをしたとしてもそれをいつまでも恨み続けるのではなく「相手の人も今はもう忘れているかもしれません」年月が過ぎるとなつかしくさえ感じられてくることさえあります、そのようなことがあればこそ、自分自身の心を成長させてくれているのかもしれません。  病は気からと昔から伝えられているとうりです。

『無財の七施』 6月

 釈尊は『雑宝蔵経』というお経の中に『無財の七施』を説いておられます。実行する心さえあれば誰にでもできる七つの施しであります。この七施こそ施しの真清神であり、大乗仏教の要諦であります。明るく、正しく、仲良く生活するための指導原理であります。即ち眼(ガン)施、和顔悦色(ワガンエツシキ)施、言辞(ゲンジ)施、身(シン)施、心(シン)施、牀座(ショウザ)施、房舎(ボウシャ)施、であり、やさしい眼、にこやかな笑顔、親切な言葉づかい、敬意に満ちた礼儀、美しい思いやり、なごやかな譲りあい、そして気持ちのよい待遇であります。

 さて、人間は五体満足に生まれ、順調に発育し、身体健康であるのが一番貴重な財産であります。人間の社会は年齢・性別を問わず、いろいろな職業を持った沢山の人たちが蜘蛛の糸のように引っ張りあいお互い支えあって生活しております。お互い独りでは生きてゆけません。社会の歯車の一つとしての自分であるという自覚が大切です。この気持ちがあればこそ、家庭においても職場においても責任と努力と満足感が湧いてきて生甲斐と幸せにつながるのであります。このように社会に必要な人間であり、社会から求められる人間になることが社会的健康であると言えます。「無財の七施」は社会的健康を保つ上に、なくてはならない要素であり、しあわせの条件と言えるでしょう。

 愛の輝く眼でながめ、ニッコリ微笑し、有り難う御苦労さまと声かけて、両手合わせて合掌し、慈悲の心を現して、何事にもお先にどうぞと、綺麗に浄めた部屋へこころよく導きいれる。

 人生は一度、二度とない人生です。社会的健康な人生こそ本当のしあわせではないでしょうか。「無財の七施」を改めて噛み締めてみましょう。

 「お盆」平成21年8月

 お盆の正式な呼び方は「盂蘭盆会」です『仏説盂蘭盆経』によると、お釈迦様のお弟子のうちで神通力の第一人者といわれる、目連尊者が、亡くなった母のことが気になり、神通力でその往く先をたずねたところ、母親は餓鬼界でくるしんでいました。お腹は太鼓のようにふくれ、手足は骨と皮ばかり、喉は針のように細く、顔はいまにも目玉がとびださんとしている。という、みにくいすがたです。しかも餓鬼界にいて、いつも飢えている状態に驚いた目連尊者は食べ物を母親にあげようとします、しかし、それを母親が食べようとすると、食べ物はたちまち火になってははおやをくるしめます、水を差し上げてその苦しみから救おうとしますが、かえって火に油を注ぐように、火の勢いがはげしくなり母親を苦しめてしまいます。手のほどこしょうがなくなった尊者が思いあまってお釈迦様に母親を救うほうほうをおたずねすると、お釈迦様は、お坊さんたちの修業期間(うあんご)の終わる七月十五日に、お坊さん達に「百味の飲食五薬」を供養することによって母親が餓鬼界の苦しみからのがれることができると教えられました。これによって盂蘭盆会の行事が行われるようになりました。「日本では約千四百年前のすいこ天皇十四年(六〇六)からおこなわれていた」

お盆は七月十三日から十六日(月おくれは八月十三日から十六日)までで、十三日の夕方に(迎え火)をたいて御先祖をおむかいし、遠い所からお客様をお迎えするように果物ゃ菓子、御馳走をお供えしてご供養します。そして十六日の夕方には(送り火)をたいて、御先祖の精霊をお送りしますがこの間故郷をはなれていた家族の帰ってきて共に御先祖の精霊をご供養するといった風習が、八月のお盆の帰省ラッシュの現象となってあらわれているわけです。ところで尊者の母親が餓鬼道におちたかということについて「だいもつけんれんみようもんくぼへんもん」にはこう書いてありま。目連の家は資産家でいくつもの宝蔵を持っていました。目連が出家するとき、母親にすべての宝蔵をまずしき者に施すようにと頼んでいきました。最初のうちはいわれたとおり人びとに施していたのですが、宝蔵が少なくなったとき、我が子のためにせめて一つでも残しておこうと、それ以後どんなにまずしき人がきても一切施すことはしませんでした。このときのものの惜しみをした業によって母親は餓鬼道におちたというのです。親は子のために犯さなくてもよい業をあえておかし、そのために苦しみの中にあえいでいたわけですお釈迦様は目連に「百味の飲食」を諸僧に供養するということで「布施」する徳を教え、それによって、餓鬼 にぞうしょうされるむさぼり、欲求不満の心をのりこえることを教えられているわけですが、もう一つ大事なことは、わたしたちは、なにごともなく成長し、自分の力で現在の生活を得、少しも他人には迷惑をかけていないと思いがちですか、じつは、わたしたちがこうしているのには、親や先祖が、かわいいわが子、わが孫たちのために、もしかしたら他人からうらみをかうようなことをしたり、あるいは他人を悲しませるようなことをしたこともあったかもしれないのです。そのために、餓鬼 地獄 畜生 の苦しみをうけているかもしれない先祖や親たちのために、供養として冥福を祈るのが盂蘭盆会の行事です。なかなか手を合わせることがすくないのでお盆だけでも仏壇やお墓にいき手を合わせたい者です。

平成21年9月

 お寺を紹介いたします。中賛テレビにおいて9月7日午後6時45分より当山が放送されます。皆さん見てください。

 

平成22年1月

 本年は当山にとっても皆様にとってもいい年でありますよう御祈願をしております。

平成22年2月

 メールを見ていてくださる皆さんにお聞きしますが、寺院と神社の拝みかたを知っていますかお寺でよく見るのですが手を打ちお礼をしていますが、それは神社でのお参りのしかたではかいのでしょうか、お寺では手を打たずに手を合わしてお参りするのが本当ではないのでしょうか?皆さんはどう思いますか、意見を聞かせてください。

 (3月よりお経の意味を少しずつ乗せていきますので乞うご期待ください。)

平成22年3月

1,開経の偈(かいきょうのげ)

    無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)

  百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうく゜う)

  我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)

  願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)

 開経の偈は、今信ずる所の経典に遇い奉ることのでき得た感激を記したもので、遇い難き無上深秘の経典に遇い、且つ信ずることができたので、更にその経典に盛られた真理をも体解して、悟りを開かんことを誓う句です。

平成22年4月

2,懺悔の文(さ゛んげのもん)

  我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)

  皆由無視貪瞋癡(かいゆむしとんじんち)

  従身口意之所生(じゅうしんごいししょしょう)

  一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいざんげ)

 懺悔の文とは、我れこれまでに意識的に或は無意識的に造った一切の悪業というものは、すべて皆これ自己の貪・瞋・癡の迷いによって造り出されたものです。我れ今ここに、わが一切の悪業を懺悔して、清浄にして汚れなき清らかな心身とならんことを希う句です

○当山では3月26日に結集寺院の人たちが集まり永代土砂加持が執行されました。

 4月11日(日曜日)には柴燈大護摩供を行います。火わたりやお加持なども行われますまた、ぜんざいの接待も行って居ますのでご近所お誘いの上お参り戴きますよう御案内申し上げます。

平成22年5月

3,三帰(さんき)

  弟子某甲(でしむこう) 尽未来際(じんみらいさい) 帰依仏(きえぶつ)

  帰依法(きえほう) 帰依僧(きえそう)

三帰とは三帰依のことであって、仏に帰依し、真理そのものである法に帰依し、真理の体現者に帰依することを誓う句です。

○当山では4月11日、日曜日の午後一時より柴燈大護摩供を修業いたしました。多くの方々に参加して戴き火渡りやお加持などを受けられ元気にお家に帰られました。

平成22年6月

4,三竟(さんきょう)

   弟子某甲(でしむこう) 尽未来際(じんみらいさい) 帰依仏竟(きえぶつきょう)

   帰依法竟(きえほうきょう) 帰依僧竟(きえそうきょう)

三竟とはまさしく三帰依をなし終ったことでありまして、われ三宝に今帰依し終り、本当に心から悟りの境地を悟るべく決心し、修行しようと志すことの決意を示したものです。

平成22年7月

5,十善戒

   弟子某甲(でしむこう) 尽未来際(じんみらいさい) 不殺生(ふせつしょう)

   不偸盗(ふちゅうとう) 不邪淫(ふじゃいん) 不妄語(ふもうご) 不綺語(ふきご)

   不悪口(ふあっく) 不両舌(ふりょうぜつ) 不慳貪(ふけんどん) 不瞋恚(ふしんに)

   不邪見(ふじゃけん)

以上三竟において、悟りの境地を体験しようと決意した以上は、まずすべての行為の根本となる所の十善を未来永久に踏み行わんことを誓うのがこの十善戒です。不殺生は慈悲、不偸盗は高行、不邪淫は浄潔、不妄語は正直、不綺語は尊尚、不悪口は柔順、不両舌は交友、不慳貪は知足、不瞋恚は忍辱、不邪見は正智のそれぞれの行為に当たるのです。

平成22年8月

6,発菩提心の真言

  オン ボウジ シッタ ボダハダヤミ 釈・・・ボウジ(覚り)・シッタ(心)・冒地質多で覚り                           を求める心のこと。ボダハダヤミ(発起する)

 わたしは今さとりを求むる心を発起する

平成22年9月

7,三昧耶戒の真言

  オン サンマヤ サトバン      

     三昧耶(サンマヤ)・・・三昧耶は本誓の義、本誓とは自己の根本的な誓いであり、   願いです。いかなる願いであり、誓いであるかといえば、どこまでも正しき教法を捨て   ず、あくまでも菩提心を捨離せず、自己のちしつせる真理をおしみなく人に教え導き

   一切の人々のためにあくまでも奉仕するという宗教的けいけんな態度の上より、勝    義心・行願心・三摩地心の三種の菩提心を必ず実現することを誓うことです。

  薩怛?(サトバン)・・・・汝は。

 汝こそは真実の法門を必ず一切の人に与えんとする三昧耶、即ち本誓の体現者です。

平成22年10月

8,四句の偈

 諸行無常(しょぎょうむじょう) 是生滅法(ぜしょうめつぽう)

 生滅々巳(しょうめつめつち) 寂滅為楽(じゃくめついらく)

  ◎諸行は常なし。これ生滅の法なり。生滅を滅し巳れば寂滅為楽なり。

 ○諸行・・・諸はもろもろで、すべての意味。行とはうつりかわりゆくもの、即ち、一切の    事々物々で現象界のすべてのものを指しています。諸行ですべてのものはの意味。 ○無常・・・無常とは一切のものは生滅転変して定まらないこと。

 ○生滅法・・・生あるものは必ず亡びるという因果の法則のこと。法とは法則とか真理と   か悟りとかの意。

 ○生滅々巳・・・現在の境界を離れ、生死を脱して真如の悟りの境地に入ること。

 ○寂滅為楽・・・生滅の境界を超越した処に、何ものにもわずわされない寂静の心境

   となり、煩悩の境界を離れて真実の悟りの喜びの境地がひらけて来ること。楽とは

   悟りの境地に安住して朗々とした気持ちのこと。

 世の中のありとあらゆるすべてのものは、常にうつりかわって一刻といえども留まるこくなく、刻々に変化し続けているものであり、これを生滅の法と名づけているのです。この生滅の法則にわれもまた否応なしに従わなれればならない。いつまでも生きていられるものと安閑として日々をぼんやりと暮し、鳥部山の煙となっているのは、己れには何かのかかわりねない人であり、黄泉の客となって三泉に旅立って散り行くものは、よその人であると思っているから、のんびりとしておられるものであるが、人の命は朝露のごとく、うたかたのごとくはかないものであることに、しかと心の眼が覚めやれば、己が生のはかなさに悩み、死のおそろしさにおののき、不安と焦慮になやみ苦しむのが普通の人間の心情です。そこで、この生になやみ、死におののく己が苦悩の境地を修養の力、信仰の力によりて

超越すれば、そこにおのずから悟りの安らかき境地がひらけて来て、何物にもわずわされず、確固不動の安心立命を得て、朗々として永遠に生き抜くことができるもので、これを寂滅為楽といったのです。

平成22年11月

 9,光明真言

    オン、アボキヤ、ベイロシヤノウ、マカボダラ、マニ、ハンドマジンバラ、ハラバリタ    ヤウン

 ○光明真言とは五智の光明のことで、五智の光明とは仏さまの光で、仏さまの智慧を  法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智の五つとし、この五智の光明に

 照らされてわれわれは悟りを体得いたるもので、この五智の光明を有する光明真言を  唱えると、その五智の光明の功徳によって悟りを得ることができるのです。

  ?(オン)聖語であり訳すことのできない語。阿慕迦(アボキャ)不空即ちむなしからずと訳す。廢魯者娜(ベイロシヤノウ)光明遍照と訳す。摩訶畝陀羅(マカボダラ)大印と訳します。摩尼(マニ)如意宝珠と訳します。鉢頭麼(ハンドマ)蓮花と訳します。入縛?(ジンバラ)光明と訳します。跛羅韈譚野(ハラバリタヤ)転入と訳します。吽(ウン)色々の深遠な意味があって訳すことが出来ない。

 ◎自証化他の二利の徳を満足して一切の人々を菩薩の大道に引き入れて空しからざる光明遍照の大印あるものよ。現在・未来の二世にわたり、福寿意の如くなり、大安楽を得ることを象?(しめ)す如意宝珠と、一切の罪障を消滅して浄土に生じ、仏性の心蓮を開発することを象?す蓮花と、衆生の無明を除き有縁の浄土に引入することを象?する光明の徳あるものょ。転迷開悟して凡聖不二神通自在の境地に転入せしめ、地獄を破して浄土となすものよ吽(ウン)。

平成22年12月

10,大師法号

   南無大師遍照金剛

 ○南無・・・帰命する、帰依する ○遍照金剛・・・弘法大師が中国の長安の都の青龍寺において恵果和尚より、金剛界の灌頂と胎蔵の灌頂とを受けたとき、不思議にも二回とも中央の大日如来に投花得仏することができたので、大日如来の遍照金剛を恵果和尚から授かったのです。されば遍照金剛は弘法大師の灌頂によって得た名です。遍照とはあまねく照らす。大日如来の徳は宇宙で至らないところがないので遍照といい、またその徳は永遠不滅なることダイヤモンドのようであるので金剛といったのです。

 ◎弘法大師遍照金剛に帰依し奉る。大師よ我れを見捨てることなく救済して悟りの境地に導きたまえ。

 

     

平成24年皆様にとって良い年でありますょうにお祈りいたします。

 

平成23年度新しい年を迎え一訓という枠をつくりました

 

◎新しくお不動様の梵字のお守りを置くことにいたしました。ご希望のお方はお申し込み下さい。(お守りの見本の写真は別の所に載せてあります)

 

お知らせ

 3月の末頃に土砂加持の修行を執行致します、どうぞ皆様お誘いの上お参りいただきますよう御案内申し上げます。(日程が決まり次第お知らせいたします)

◎日程が決まりました。3月24日の金曜日、12時半より執行いたします。

 

4月のお知らせ

 来る10日(日曜日)午後1時より柴燈護摩を執行いたします。皆様お誘い                
あわせの上お参り下さいますよう御案内いたします。
 護摩終了後火わたり、お加持も行っています。
 

6月のお知らせ

 来る14日(火曜日)午後1時より総本山善通寺の御影堂において(丸亀・善通寺・三豊市)の住職が集まって法要を執り行います、皆様お誘いの上お参り下さいますよう御案内いたします。

 

7月

 熱い日が続いていますが十分に注意して生活をなさって下さい

 

8月

 千里の道も一歩から、何をするにも一歩を踏み出さなければ何も出来ない

 

9月

 私ごとですが九月より東院(本堂)より御影堂に移りました。(主任)です

 

11月

 一人事ですが(本堂・仁王門・塀)などの建て替え及び納骨堂の建立を考えています、

どなたか御協力いただけませんでしょうか

◎11月より携帯電話で当山のサイトが見れるようになりました

 

12月

 今年も後1ヶ月となりました、皆様にとつて良い年が迎えられますようにお祈り申し上げます

 

   24年1月

  ◎放てば手にみてり(手放してこそ大切なものが手に入る)

  12月

  ◎虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きむ

    11月

  ◎温故知新(おんこちしん)

  10月

 ◎苦言は薬なり(くげんはくすりなり)

     9月

 ◎彼も人なり我も人なり(かれもひとなりわれもひとなり)

      8月

 ◎随処に主となれば立処皆真かり(ずいしょにしゅとなればりつしょみなしんなり)

      7月

 ◎決意は遅くとも実行は迅速なれ(けついはおそくともじっこうはじんそくなれ)  

      6月

 ◎随処に主となれば立処皆真なり(ずいしょにしゅとなればりつしょみなしんなり)   

      5月

 ◎誠実に由りて得たる信用は最大の財産なり

    4月

   ◎幸せは小さな出会いからはじまる

      3月

 ◎はらが立ったらたったまま悲しかったら泣いたままそっとこの手を合わします

      2月

 ◎両坊(りょうぼう)「白か黒か」へのこだわりを忘れて

  平成23年1月

◎無口な人の一言は心に残るがおしゃべりの一言は右の耳から左の耳にぬける

あけましておめでとう御座います。本年度より私がいいと思った一訓の言葉を載せたいと思います。

 

 

  

 

 

   

 

  

  

  

   御大師様のお言葉 平成20年6月

  「真言は苦を抜き楽を与う」

 ほんとうのことばは、苦しみを生むことなく、いつも気が楽である

  御大師様のお言葉 平成20年7月

  「妄語(もうご)は長夜(じょうや)に苦を受く」

 うそをつけば、あの世へ行って、何千年も苦しむことになる

御大師様のお言葉 平成20年8月

  「心病(しんびょう)の本(もと)はただひとつ、無明(むみょう)これなり」

 心の病気の根元はただひとつ、道理に暗いことである

 御大師様のお言葉 平成20年9月

    「人の昇沈(しょうちん)は定(さだ)んで道にあり」

 人が出世するかわ没落するかわ、道理に基づいた生き方をするかどうかで決まる。

  御大師様のお言葉 平成20年10月

 【道(い)うことなかれ人の短(たん)】

人の短所をいってはいけない

『菅笠にかかれている字の意味』 平成20年11月

 1,日差しや風雨をしのぐ為に用います。

 2,笠には「同行二人」の下記の四句の偈文をかきます。

 迷故三界城  迷うが故に三界は城なり  我執によって苦しみの世界にいる  

 悟故十方空  悟るが故に十方は空なり  悟りを開けばこの世は全て楽土だ

 本来無東西  本来東西無く         精進して我執を無くせば安心を得て

 何処有南北  何処かにか南北あらん   真の幸福な人生となる。

 御大師様のお言葉 平成20年12月

【説くこと勿れ己の長】

自分の長所を自慢するな

新年あけましておめでとうございます

本年は『性霊集』より言葉を書かせて頂きます。

虚心にして物に逐う (こしんにしてものにしたがう) 平成21年1月

 物事にとらわれずに、自らの心をむなしくして相手に応じた自由自在無碍の境地。

大仙之窟房 (だいせんのくつぼう) 平成21年2月

仏の境界のこと。永遠の生命を体得したののをいう。

大仙・・・・・すぐれて尊い、仏陀の称でもある。

玄珠を瑩く (げんしゅをみがく) 平成21年3月

 玄・・・くろい。非常にすぐれている。

 玄珠・・くろいたま。菩提心にたとえる

 人間が持っている可能性を瑩き求めていくこと。

延年転壽 (えんねんてんじゅ) 平成21年4月

 自己の力や仏の加護によって、この世における寿命を延ばすこと

寶珠閣 (ほうじゅのかく) 平成21年5月

 宝珠には災難を除く等の不可思議な力があるとされ、また如意宝珠(欲しいものを何でも出してくれるという玉)も有るが、宝石で飾られた宮殿とは覚りを求める心を言ったものである。

一心に安住して分別すること無かれ内風外風吾が耳を誑かす 6月

 唯一絶対のゆるぎない心を保持しあれこれ思案しすぎてはいけない内なる声や周囲の意見は、人を惑わすものだ

良工は、その木を屈せずして厦を構う(りょうこうは、そのきをくっせずして

                                                    かをかまう)7月

優れた大工は、真っ直ぐな木は曲げずに、適材を敵所に使って大きな建物を建てる。

懐智鏡(ちきょうをいだく)8月

 我々は智慧の鏡を誰もがもっているという事、智慧(智恵)・・・正しく物事を理解したり、知識を応用したりする力

物の興廃は必ず人による(もののこうはいはかならずひとによる)9月

 物事が興つたり廃れたりするのは、必ずそれを行う人物による

人の昇沈は定んで道にあり(ひとのしょうちんはさだんでみちにあり)10月

 人の出世するか没落するかは、道理に基づいた生き方をするかどうかで決まる。

一色邉(いっしきへん)11月

 仏と衆生が一体という事。差別を乗り越えた絶対平等の心をいう

物に定まれる性無し、人に何ぞ常に悪ならん(ものにさだまれるしょうなし、 ひとにいづくんぞつねにあくならん)12月

 ものに決まった性質などない。悪人もいつまでも悪人ではない。

謹賀新年 

 沈迷の端驚かずんばあるべからず(ちんめいのはしとどかずんばあるべからず)平成22年1月

 いま、自分が極楽と地獄の境の剣が峰に立っていることに驚くがよい。

 一手拍を成さず、片脚歩むこと能わず(いっしゅはくをなさず、かたあしあゆむことあたわず)2月

 片手だけでは拍手はできない。片足だけでは歩むことができない。

 心暗きとき、遇うところ悉く禍なり(こころくらきとき、あうところことごとくか り)3月

  気持ちが落ち込んでいるときや、悪いことを考えているときは、することなすことすべて が禍を招く。

 眼明らかなれば、途に触れて皆宝なり(まなこあきらかなれば、みちにふれてみなたからなり)4月

    ものの道理を見る目があいていれば、身のまわりのものがすべて大事なものだとわ  かる。

書を読んで但だ名と財とにす(しょをよんでただなとざいとにす)5月

  いくら多くの書物を読み知識を蓄えても、立身出世や金儲けのためにするのでは、な んにもならない。

十悪に快うして、誰か護身の報いを覚らん(じゅうあくにこころようして、た゜れかごしんのむくいをさとらん)6月

  十悪業を楽しんで毎日を過ごしていると、あとでどんな報いを受けるか誰も知るまい。

昇墜は他の意に非ず、衰栄は我が是非なり(しょうついはむたのいにあらず、すいえいはわがぜひなり)7月

  地位が昇進するのも名誉が失墜するのも、まわりの人のせいではなく、自分の心がけ による。事業が衰えるのは自分の行動が悪いからであり、栄えるのは自分の行動がよ いからである。

とらわれない古太和羅奈以(とらわれないこだわらない)8月

  これは日本人百才以上の人の「長寿の秘訣」で、男女共一番多かった秘訣です。

慕超然遠猷(ちょうぜんたるえんゆうをしたう)9月

 諸教よりもはるかにすぐれている。高大深遠の教えである仏教の教えを慕う。

『論語』より「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者にしかず」10月

 「知る」というのは、人が本能的に知ることであり、「好む」とは「知る」から一歩進んで、その人の個性、感情を通じ、興味をもつてとらえる段階を意味しています。そして「楽しむ」はさらに進んで理性でとらえることです。

心病衆(おほ)しといへどもその本(もと)は唯(ただ)し一つのみいはゆる無明(むみょう)これなり 11月

 心の病はいろいろあるがその根本の原因はただ一つ真理をまったく知らないことにある